2004年06月16日
あのとき、船橋 サーキットは、
当時の船橋ヘルスセンター敷地内に、船橋サーキットというレーシング・サーキットがあった.このサーキットは、鈴鹿サーキットに継ぐサーキットとして、1965(昭和40)年7月1日にオープンした唯一関東近郊サーキットだった.1周 3,100m と、2,400m、そして 1,800m のコースがあった.周囲には 11,000人のスタンド席と、立見を含めると4〜5万人が収容可能な仮設スタンドが建設され、どこにいてもサーキット全体が見渡せるようになっていた.

船橋サーキットは、海岸の埋立地に建設された比較的小規模なテクニカル・コースで、東京からも極めて近く、その有利な立地条件から大いに発展を期待されたが、施設の都合上日本GPのようなビッグ・イベントを開催できなかった.2年間に開催されたレース数は35戦ほどだった.
※ 現在の地図に、当時のコースを重ねて想像したもの.

結果、赤字が続き移転先を考慮中だった船橋オートレース場の熱心な申し入れにより、これに替わることになった.そして、1967年8月船橋サーキットは、全日本ジュニア・チャンピオンレース大会を最後に閉鎖してしまった.
※ 当時の写真に、ゴールデンビーチ(現在のテニスコート)と船橋サーキットコースの一部が見える.

船橋サーキットは、海岸の埋立地に建設された比較的小規模なテクニカル・コースで、東京からも極めて近く、その有利な立地条件から大いに発展を期待されたが、施設の都合上日本GPのようなビッグ・イベントを開催できなかった.2年間に開催されたレース数は35戦ほどだった.
※ 現在の地図に、当時のコースを重ねて想像したもの.
結果、赤字が続き移転先を考慮中だった船橋オートレース場の熱心な申し入れにより、これに替わることになった.そして、1967年8月船橋サーキットは、全日本ジュニア・チャンピオンレース大会を最後に閉鎖してしまった.
※ 当時の写真に、ゴールデンビーチ(現在のテニスコート)と船橋サーキットコースの一部が見える.












