あのとき、東京は
2005年05月07日
尼崎列車脱線事故(2)
尼崎列車脱線事故は、大変な惨事となってしまった.心からお悔やみ申し上げます.過去に、関東でも脱線事故があった.1978(昭和53)年2月28日21時34分に、帝都高速度交通営団(東京メトロ)の地下鉄東西線荒川鉄橋(中川橋梁)の上での脱線事故だ.
地下鉄東西線の葛西〜南砂町間の延長1,236m荒川鉄橋(中川橋梁)を、約90km/hで走行中の下り電車後部3両が脱線したものだ.うち最後部の2両が上り線に横転し、23人が負傷した.すべての電車が撤去が完了したのは56時間後だった.当初原因が分からなかったが、強い突風との相互作用が原因であった.
当時、軽量化されたステンレス車が導入されたばかりで、軽量化が問題ではという説も出ていた.
地下鉄東西線の葛西〜南砂町間の延長1,236m荒川鉄橋(中川橋梁)を、約90km/hで走行中の下り電車後部3両が脱線したものだ.うち最後部の2両が上り線に横転し、23人が負傷した.すべての電車が撤去が完了したのは56時間後だった.当初原因が分からなかったが、強い突風との相互作用が原因であった.
当時、軽量化されたステンレス車が導入されたばかりで、軽量化が問題ではという説も出ていた.
尼崎列車脱線事故(1)
尼崎列車脱線事故は、大変な惨事となってしまった.心からお悔やみ申し上げます.今回の事故の件で、JR西日本のモラルが問題となっているが、この追求については一般紙にまかせたい.マスコミ上ではあまり問題になっていないが、ネット上ではマスコミのモラルの問題が話題になっている.報道によって、これらの情報を得ることができるわけで、マスコミの活動を制約すべきでないのではあるが、モラルはあまりよくなかったようだ.特に、遺体安置場前での犠牲者遺族への心ない質問など考えていただきたい.
※ 右写真は、各報道のクレーン群(通常のメデイアには出てこない光景だ).
多数のけが人が出た場合、プラオリィティを付けて救助しなければならないが、今回人命探査には心拍音や呼吸音の反応の有無を調べる装置を使用した.しかし、この装置利用において報道ヘリの爆音が影響したという.今後の活動について検討していただきたい.
※ 右写真は、各報道のクレーン群(通常のメデイアには出てこない光景だ).
多数のけが人が出た場合、プラオリィティを付けて救助しなければならないが、今回人命探査には心拍音や呼吸音の反応の有無を調べる装置を使用した.しかし、この装置利用において報道ヘリの爆音が影響したという.今後の活動について検討していただきたい.